ひとつ、またひとつと終わって行きます。
お見せできないのが残念ですが、私の名前が綺麗な花文字で描かれています。
「奥さんに」と言ってジャスミン茶の缶も。
「再見」とは再見面、つまり「また会いましょう」と言う意味。
教科書などには別れの挨拶として最初に出てきますが、
実は日頃良く会う人と毎度毎度交わす言葉ではないんです。
日頃は「明天見(また明日!)」とか「捎后见!(また後で!)」、「先走了(先行くよ・お先に)」、「下个星期六,一点见!(次の土曜日の1時に!・・・ちょっと長いですが)」など・・・
もう会うようなことが無い人には「再見」を使います。たとえば、タクシーを降りるときに運ちゃんに言う時とか。
もう会うようなことが無い人。
昨日今日の私みたいなヒト。
また会いましょう。
また会いましょう。
何の機会にかは分からないけども。
こちらの社員から貰ったメッセージカードやメールにも、何人か書いてよこしてきました。
再見の意味を。
2年間の生活の中で感じたり読み聞きかじった知識などから見て、彼らは他人との貸し借りの清算を急がない。
世の中変わって行っているのですべてではないですが、
例えば、誘い合って晩飯などに行った時に割り勘になんかしない。
(まして、1円単位で綺麗に割ろうなんて気はさらさら無いどころか、多分そんな事してる奴(日本人)見ると、本心はイヤでイヤでしょうがない。)
「俺が払う俺が払ういやいや俺が俺がいや俺が」というやりとりが盛大に続いた後、
しかるべき人が恭しく払う。
または本気で今日の払いを奪い合う。
日本でも時々見ませんでしたか?或いは親世代が元気な頃・現役な頃を思い浮かべると。
・・・でも彼ら、急いで返さなきゃなんて思いません。
多分、返したら、その人との関係はそれで終わってしまうかもしれない。
払わなきゃ、「まだ返さなきゃいけない人」という重要な関係が残りますよね。繋がっている訳じゃないですか。
或いは何かを手伝ってもらう、教えて貰う、そんな事も含めセカセカお礼よこしたりはしない。もちろんその場で「謝謝」とは言いますよ。(でも謝謝も平生はあまり使いません。再見と同じ位。)
でもそういう関係が有れば、自分にとって借りが有る人が本当に困ったときは全力で助ける気になりますよね。上辺でなく、自分にとって大切な人として。
再見を言う時には綺麗に清算するものなのかどうかはわかりません。
でも、「また会いましょう」の意味は「さようなら」とはちょっと違いますよね。そんな気がします。どっかで繋がったままお別れしましょうの気分が残っているように思います。まぁ、気分でしかないかもしれませんが。
だからかどうか分かりませんが、社員とも、出向者とも、老師とも、その他私にこの地で関わったすべての人たちと、これでお別れの気分が有りません。実際には同じ仲間、同じ環境、同じ体制で何かをやることはもう絶対にありえないのに。
次の、新しい環境に入って行くためにはスパっと切った方が入りやすいのかもしれませんが、
何故か、いわゆる「引きずっている」のとは違う、「幅が広がる」という意識に近い感じがしています。
何かの時に、「ああ、違うんだ。今までとは」と思って初めて寂しく感じるのかもしれませんが。
でも、今までの、どんな別れの時の感覚とも違います。
不思議な気分です。
謝謝大家! 大家、再見!
最後の荷造り中
うまく纏まらず、悪戦苦闘中です。
このパソコンも入れないと・・・今からいれるか明日朝やるか・・・