天王川の川祭り
子供の頃には何度か行ったこともあるんですが
最後に見たのはざっと20年前。
最近だと思っていたんですが、随分昔の事だったんですね。
朝祭りは2年前に行ってみましたが
宵祭り 久しぶりに行ってみるかぁ、という気分になり。
何でも、ユネスコ記念で花火も9,000発上げるとかなんとか。
一時、花火も無くなっちゃってたはずだもんなぁ。子供の医療費もタダにならず、市民病院も一時閉まってたようなカネまわりの悪い所だもんなぁ。駅前から津島神社までの商店街も、今や商店街だった事すら分からんかもしれん様な変わり様だもんなぁ、昔は電車増発しても積み残しとか出てたしなぁ
とか、
色々と思い浮かべながら、
ちょっと混み気味の電車に揺られて、津島駅に降り立つと
電車が着くたびに、人の波がどーっと吐き出され
どういうわけか、ホコ天になっている訳ではないので、「歩道を歩いて下さーい」と。
基本、人ごみは好きではないので、裏道、路地を歩いてみます。
所々、表通りが見通せるところや、建物取っ払った空き地や駐車場でイベントもやっていたり
あらためて歩いてみると、そこらじゅうにお寺や神社が。大小取り混ぜて。
正直いつも「津島神社」と「天王川公園」しか目に入ってませんでしたが、その数たるや。
ずいぶん昔、京都のヒトに、「初詣でとかどうしてるんですか」って聞いたことがあるんですが、
これこそ、どうしていいか分からんほどの数。
これだけ多いと、きっと、ちっちゃい町内・集落に一個ずつお寺と神社が有るんじゃないかという気がするので、行くのはそこだけで逆に困らないのかも。想像ですが。
#ちなみに、その京都の人は、お寺とか神社とかがあんまり関係ない宗教のヒトだったらしいと後から知りました。意味なし。
史跡は・・・どこ(どれ)なんでしょうか・・・・?
ビルトイン型・・・消防ホース収納庫・・・
御旅所の大銀杏を眺めつつ
津島神社に到着。
しかしみなさん、並ぶのが好きですね。
レジ待ちしてるんじゃないんだから、パッと賽銭投げてめいめいお参りしてサッとどけばいいだけだと思うんですけどね。
それだけ辛抱強く待てるんだから、群がりつつも押し合いへし合いしないで、って事くらいできますよね?
それとも空港のカウンターみたいに、一列に並ばせて「お待ちのお客様こちらへどうぞ~」とか言って、とか、小さい賽銭箱を十数個レベルでずらっと並べて列をちらけさせないと駄目なんでしょうか(銀行でカネおろしてんじゃないんだから)。
まぁ、たこ焼き並ぶのは、普通の事ですね。(蒸さったみたいに柔らかいんですが、クセになる味なんですよここのは。)
黒塗りの車が並んでいるのは・・・どんな関係の方たちか良く分かりませんが・・・
(プリウスからセダンのクラウン、新旧アルファードと、レクサスも居ましたが、まぁ車種から見ると多分、そこいらのセンセイ方なんでしょうかね。)
川に近づくと、まぁ、すごい人ですね。
桟敷席があるんですが、
所によっては
バックヤードをつくり、酒をつくりまくっている所とか
船を浮かべ、和太鼓なんかも奏でられたり
椅子席もあります。
昔あったかな椅子席なんて
で、つらつら歩き、
たどり着いたのは
舞台袖、と言っていいのか
巻き藁舟の提灯に火をつけ始めています。
300円のかき氷をちびちび食べながら
开始!
かき氷屋も氷のかく音が止まりません。
浴衣姿の女性陣の焼きそばを掻きこむペースも一向に落ちませんw
かなりの人だかり
そうこうしている間に、背後から派手な花火の音が。
振り返るとそこには・・・
・・・・・・。
神社の杜に阻まれ、時々チラチラと赤い点々が見えるのみ・・・
9,000発の音が・・・
で、そんなときは一時的に人がそっちに向かうので減ったりするんですが、
動いてもきっと芋洗い、それにここ、風通しが良くて快適
動かずに、色んな人が来ちゃ垂れていくウンチクに耳を傾けていたんですが、
「ああ、多分三重県のテレビが来てるね」・・・って、地元のケーブルテレビでしょ。津じゃなくて津島の。
とか、
フィリピン系のオネーチャン連れてきてテキトーな解説してる兄ちゃんとか、
べったりくっついて離れないでずっとそこに居る還暦越え確実のオサーンとババアとかお前氷屋が邪魔で困ってんだからその台に座るの止めてやれとか。
4人組位の大学生風が来たと思ったら実は会話が中国語
欧米系はここまでにもチラホラ見てましたが、ほぉ・・・・来るんだ君らも・・・とか。
そうこうしている間に
完成。
出船
どんどん出て行きます。
さあ移動するぞ、と思った時には
既に人の波・・・・・・・・・・・・・・・・。
桟敷席のある池の方には、巻き藁舟が進んで来ています。
やっぱり、いくら混んでも、こっちで花火やら余興やらを見ながら過ごすべきなんでしょうね。
ひさしぶりすぎて勝手が分からず、というか、昔来ていた時はどうやって過ごしてたんだろうか・・・・・ほぼ夜店しか見てなかったんだったりして。
あまりの人ごみのすごさに
途中で脇道へ抜け
開けて・・・・・・・
相変わらず、車道は歩かせてくれない天王通りを駅にむかい
目の前で臨時列車(に見えただけでダイヤ通りの空気輸送列車だったのかも)が一通りさらえて行ってくれたおかげで適度に空いた電車に乗って退却できました。
以上、
~ ユネスコ無形文化遺産登録記念 天王川の宵祭り観覧記 ~
じゃなくて、これじゃ、
~ 巻き藁舟に提灯が灯るまで ~
ですね。
でも、
確かに規模は大きいし、係わる人数も多いですけど、
純粋に祭りの所だけ切り取ると、一つ一つの山車(巻き藁舟)を一つの町で守って長きにわたって繋げていくところに絞って取り上げれば
基本的には、有名でそうでないかを問わず、各所で行われている「山・鉾・屋台行事」って大きくは違わないよなきっと、とも思えました。
同じって言いきっちゃうと語弊があったり、そうじゃないとか、いろいろ有るような気もしますが、
結局はその街の人が守り通して今があるものでしょうから
そういう意味で価値に差があるわけでは決してないというか。
何でしょうね。以前とは見え方(目が向く所)が違います。
とにかく賑やかに楽しむために盛り上げることと、守っていく事は、
多分すべて一緒って訳にはいかないと思うし
注目されればやりやすくなることもあるでしょうが、縛られて動きにくくなることも有るんでしょうね。
何がかは、よくわかりませんが。