・・・と、自分の帰任の事を書いているその一方で、
実は一緒に赴任し、もうしばらくこちらに残る方が先週入院しました。
タクシーで、
「zhongguo youhao yiyuan !!」
「zhongguo youhao yiyuan。hao !!」
一発です。
私の発音の良さもさることながらw、施設の名前を言うだけで通じるのは、それなりに有名である証拠。
病院周りは当然、中国の病院のそれに近い雰囲気。患者さんもこちらの方々ばかりです。周辺の店もコチラ流。
で、彼の居る病室は、正門と反対側から入る「国際部」に有るということもあってか、施設自体の造りや設備は日本の病室と遜色ありません。
ただ、国際部とは言え、廊下に居る人は中国人ばかり。処置の仕方も含め、別に外人相手専門という雰囲気ではありません。
名前からして当然?でもないですが、言葉も結構通じるんだとか。日本語が。
で、先生とかが日本語教えて欲しくて何回か病室に顔を出すらしいですw
ただ、本人元気なんですが、ちょっと症状は不安な点が払拭出来ていないため、週明け早々一時帰国することになっています。
で、私は彼の部屋に行って洗濯機を回してパンツを洗い、今日お届けに。
まぁ、何事も無くても1週間か2週間は部屋を開ける事になる訳で、その間汚れた洗濯物が残ってるのは嫌でしょう。私だってそう思います。
色々お世話になりましたからね・・・
一部仕事の引き継ぎも兼ねてだったりしますが・・・どっちがどっちに引き継ぐんだこのタイミングでは・・・という話もありますけど。
合間を見て、色々ぶらついてきました。
近場ばかりです。
行った事の無い場所、近くは通ったけど立ち寄るのは初めての場所、色々ですが、
以前とは入ってくる情報量が増えているような気がするのは、気のせいではないと思ってます。
すれ違う人々の喜怒哀楽、看板の文字、街の雰囲気・・・
以前なら無意識に自分の体の入り口にしていたフタが外れたんでしょう。
通じないなりに、言葉が分かってきた、気持ちもわかってきた、と言う事だと思っています。
対処の仕方の想像がつく。自信が付いてきたってことなんですかね。
もう一息だったなぁ・・・それか後半年あればなぁ・・・と思うんですが、全ては単に帰るのが決まったって事での「たられば」なんでしょうね。きっと。
でも、2月の帰国時に毎日中国語の日記を書いたのと、その後の老師的朋友和我一起转街がなんだかんだ言ってかなりの自信になっている・・ような・・・。
大した差ではないと思ってたけど、たったあれだけでも練習量としては大きな差が出るんですね。それをもっと早くやっていればと言う事か…。