あ_お_ぞ_ら #4

2012年からのブログ2つを、合体・移転しました。

No Umbrella

「傘がない」

井上陽水の歌ですが

なんでも、歌詞の英訳集出版の際に

はじめはI've Got No Umbrellaとしようとしたら、

そうじゃない、

No Umbrellaなんだと

言葉ってのはホントに難しくて、

何かを完全に的確に表すのって、突き詰めていくと結局不可能ってのが自分の中ではほぼ結論なんですが、

「誰が」「いつ」「どこで」なんてことをいちいち明らかにして、なるべく多くの人と意志を共有できるようにして事を進めなきゃいけないことは当然日常的に有り、

やっていく中で「俺のわかるように言え」的に言い出す輩も出てきて、メンドクセーナお前が自分で分かれよなどと思いつつ間に入って日本語どうし翻訳してみたり傍観してみたり、という事もありがちな日常ではありますが

歌詞の場合、敢えてそのあいまいさを生かして聴き手に委ね、聴き手が自分で感じたことに自身の経験を重ねたりして、イメージを膨らまさせたりとか、

または元々仔細にわたって情景をあらわそうとはしていなくて、だいたいこんな様なコトなのが伝わればいい、だとかが狙いな事も多分多く、

ただ英語に訳すとなるといちいち「誰が?」を定義する必要が出てきて、結局作詞者がどう思って書いたのかを、訳者が独り深く、深~く掘り下げないと訳詞ができないという、大変なことになるようです。

仕事でやるなら、つきつめないといけないですが、

そうでなければ、敢えて突き詰めなくてもいい、

とりあえず、とか、何かあったらその時ちゃんとしやぁいい、とか。

モノによっちゃあ、だいたいこんなもんとろくっしゃあてやっとれんわ、とか。

正直、齢取りすぎて思うようにはアタマもカラダもあちこち動けなくなってる親やらなんやらとの会話など、本人新しい刺激受ける機会がないから当然新しい話は出てこず、結果こっちも話ししててもつまんなくて、

なんか変なコト言いだしたりしてないか、とか、そういう注意は一応向けても内容自体は適当に聞いて流してるのがホントのところ。

いちいち深く聞き出して、それはこうしたほうがいいとか、それじゃだめだとか言って直るトシでもなく、直してもそれが生かせる場面ももはや少ないかも、だとか。

そんな風にやや虚しさも感じつつ、でもいや本当はまだもうちょっと粘るべきなんだろうかとか、恐らく正解も無い中、モヤモヤを割り切りながら進めるしかないんだろうなと。

聞いたところで角が立つだけだから止めといたほうがいいケースってのは、相手がヨボヨボだろうが若造だろうがあり得ますからね。

普段から色々考えてることでないと、何かの時にパッと言うことも言えませんが、

適宜ユルめにゃ身も持ちません。

今色々考えたって明るい未来に繋がるネタはそうそう出て来やせんし。

という感じで、まったく突き詰めていない 行間だらけの いつもにも増したユルユルな文体で、いつも通りの気分で書いております。何を何にどう引っかけているか、だとか如何様にも取れると思いますが、結局読んで意味がわかるのは私のみ、って。んでそのうち私だって何言いたかったのか読んでもわかんなくなる。何層くらい織り込んだっけな、って事も含めて。でも突き詰めが足らないもんだから綻びだらけ。

(予想ではここまで読み続けたヒトはほぼ居ない筈)

都会では自殺する若者が増えている

テレビではわが国の将来の問題を

誰かが深刻な顔をして喋ってる

だけども

もんだいはきょうのあめ...かさがない

いかなくちゃ

きみにあいにいかなくちゃ

きみのまちにいかなくちゃ...あめにぬれ

つめたいあめがきょうはこころにしみる

きみのこといがいはかんがえられなくなる

…Is that a good thing???