確かに、それほど混んでないだろう、とは思って行ったんですが、
それにしても、平日かと思うほどの静かさでした。
折角の連休だからっつって、もっと遠出をだとか泊まりでだとかって考える方が世の中多いでしょうし、小雨もパラついていたし、
渋滞人混みは嫌いですが、ここまで空いていなくても。
狙い通りとはいえ。
岐阜市の中心地から約30キロ
昔は地の利の良い場所で、美濃和紙の商いなどで発展した街らしく、
とはいえ街自体は決して大きいとは言えませんが
散歩がてら散策してきました。
駐車場がお安いのがうれしい。
というか、タイムズだのリパークだのが、どこにもなくて、この手のが何か所かにあるだけ。
・・・普段から人少ないって事だろうなぁ。
うだつって何?と言われると、
しっかり何かは答えられず、
正直、色々見て回ったものの、それで詳しくなったわけでもなく、
特に詳しくなろうと思ったわけでもありませんが、
街のどこかに、しっかり説明書きがあったかというと、そういうわけでもないんですよね。
ダーっと並べます。
ざっくり、うだつとは「家と家の境目にもう一つ屋根より高い壁を作ってあるところ」と思っていたんですが、
確かにイメージ的にはそういう事で良いみたいなんですが、
諸説あったり定義がはっきりしていないという所もあるような感じで、
何でそもそもこんなもの造ったかと言うと、防火の観点、炎を隣に回さないという目的があったらしく、
この地域、高台で地盤も良く、水害や地震には強いが、一方で水利が悪く、火事が出ると水が無いので消せない、だから防火は大事だった、というのはその通りの様で、
上に並べた写真のうち下3枚は屋根より高い壁は無いんですが、ひさしの下の窓の並びの辺りに、通りに向かって出っ張った壁がある、これも炎を隣に回さないという目的としては同じものらしく、(これもうだつというのかと言うとよくわからない)
また、そもそもうだつとは、梁の上に屋根を載せる時の、梁の上に並べる短い柱のようなもので、所謂棟上げの事をうだつを上げるともいうらしく、それだったら上に飛び出した防火壁が、と言うより、梁より上の部分の三角形の壁の事全般じゃないか、ともいえる、だとか、
結局何だかよく分からないし分かろうとすればするほどどうでもよくなってきて、巡り巡って元のモヤっとした状態に戻ってくる、そんなことで、
だからはっきり目立つ様に書いたうだつの説明書きがどこにも無かったのね、という結論に達しました(私の中では)。
一軒、家の中を公開している所が有ったので(有料)覗いてきたんですが、
立派な庭のあるお屋敷で、大きな鍋がかけられるかまどが沢山あり、
人も沢山抱えて・・儲かってたんだろうなぁ・・
お祭りがあること自体は、ココん所いろんなお祭りを見ているので、驚くことはないんですが、
その時の人の多さと、写真の中に裃着てる人が居るとか、
うだつの高さや豪華さを競ってたとか、裃だとか、
何と言うか、気高いですね。
そんな街ですが、
なんだか、夢の跡、という感もあり、
古くからの日常も、垣間見えますが、
店構えや建物よりも、R2に目が行ってしまう私。
何故か一軒だけ、ぽつんと韓国料理屋が。
で、街のはずれに鉄道の駅があるんですが、
一つは
一番のはずれの、一度坂を下ってもう一度高台に上りきったところにありました。
人の気配は、なし。(駅員さんは居たようでした)
もう一つは
坂を下りきる直前にあった
名鉄の終点の駅。
昔は岐阜市内から出た路面電車がここまで来ていたのが、既に廃線に。
どういう訳か、古い玩具と野口五郎関係の物品を扱う怪しい店が入っていました。
大らかなもんです。
大げさでなく、梯子を上るような感覚のステップ。
今時の路線バスのステップ高さは、感覚的にはこの写真の一段目。
あとの2段は、膝より上に足上げなきゃならないんじゃないか位の気分の、お婆ちゃんとか絶対登れないよなこりゃという高さ。
バリアフリーとか冗談じゃない、ベビーカー持って乗ろうなんて考えも起きないです。
町の中心から歩いたって大した距離じゃない、とはいえ、この辺は家も密集しておらず見た目にも街はずれなんですが、このすぐそばには
旨そうな気配の、人が寄る気配のする食堂が。(残念ながら時間外)
昔の犬山の城下町と似たようなもんな気もしますが、
なんとかしよう、人を呼ぼうという風でもなく、
一方で、このまま放っといたら何にも無くなっちゃいそうって雰囲気でもないんで(不思議な事に)、このままの気高さで残ってってくれればいんじゃないかな、って感じです。
おまけ
別の日に行った、この場所からそれ程遠くない
改元騒ぎから一段落した道の駅と
すっかり落ち着き払い、既に、残るのは藪蚊の生命反応のみの、平成最後の紅白のロケ地
ここの階段も急でした。