30数年ぶりの明日香村
薄々気づいては居ましたが、石舞台古墳って今は有料なんだなと。
それはそれでいいんですけど、
ハヨ着きすぎて開門時間前だったのは誤算でした。
とはいえ、これでも途中で時間潰しに
朝の6:30とかに、月ヶ瀬の梅を見つつ、途中のコンビニで買ったコーンマヨパンを食べたりしてたんですが。
しかし何ですね。名阪国道から降りて南に向かって走ってたんですが、
やっぱりあのあたりってのは古墳がいっぱい有るんですね。
なにしろ
ナビ見てると、明らかに前方後円墳、って絵が出てきますからね。それも一画面にふたつ、とか。
で、石舞台到着は7:30頃。
誰も居ません。
3連休とは言え、ひょっとしてまだシーズンイン前で、ずっとこんな感じなのかなと不安になりつつ、
ただ、8:30になればそれなりに人は増え、開門時にはざっと10~20人ほどが。
まぁ・・・中入ったり・・・見た景色自体は30年以上たってもそんなかわるものでもなく・・・
以前は気づかなかった(またはすっかり忘れた)んですが、お花と線香が供えあったりとか。
蘇我馬子のお墓説が有力って事らしいですから。
で、この後何で回ろうか少し迷ったんですが、
人出はこの時点ではそれほどすごいって程でもなかったんですよ。
ただ、駐車場が各地点に台数含めていい感じにあるという自信はなかったので、
バスで巡るのがいいかもなと軽く思っていたんですが、
4月になれば30分に一本、巡回バスがあるみたいなんですが、まだ3月なんで、
どうも一時間に一本のペースということらしく、
おとなしく、自転車借りました。
普通のでもいいかなと思いつつ、でも坂が結構多いって事で、
生まれて初めて乗る、電動アシストつきをチョイス。
500円増しで、一日1,500円。
乗ってみて分かったんですが、坂のキツさが半端ではない。
「坂が多いよ」レベルではない。
○印が主な立ち寄り地点。(○の線が細くて、どこだか分かりませんな)
青い矢印が下りまたは平坦な所。
赤い矢印が登りで特にしんどかったところでして、
右側にある石舞台をスタートし、中央部の亀石までがほぼ一方的な下り。
亀石から左に、飛鳥駅方面までが上ったり下りたり。
で、途中の高松塚古墳の立ち寄りも、地味に登り。
飛鳥駅あたりから、一番下のキトラ古墳までは、新しく整備された綺麗な一本道をひたすら、ひたすら、勾配が変わることなくただひたすらひたすら一方的な登り勾配!!!!
電動アシスト付いてようが、死にそう。
というか、電動アシスト無しの自転車借りてる方は、軒並み押して歩いてらっしゃいました。
歩いたら2,30分かかるんじゃなかろうか。
漕ぎながらでも、永遠かと思えるような時間でしたが。
500円余分に払っといたからこそ、なんとかなった、という感じです。
(そも、レンタル自転車業が何故成り立ってるんだ?と思えるレベル)
30年前は、どうしてたんだろう?こんなにしんどかった思い出は無かったけど、
・・と思って考えたら、当時来たときは、普通の道はあまり走らず、遊歩道を自転車で駆け巡っていたんだよなぁと。
つまり、元々自転車乗れない道をわざわざ走っていたので、押して歩いてる所が多かった。だからきっと漕ぐのがしんどかったという想いでが無い。
もっとも、当時は中学卒業直後。しかも自転車通学だったので、筋肉も強力だったんでしょう。寄る年波に勝てんかったんだという事でもある。。。
これで車の駐車場がガラガラだったら発狂してましたが、幸か不幸かソコソコ混んでいたためヨシとしました。
で、亀石。
昔はフェンスで囲んであったんじゃなかったかなぁ。
隣に茶店なんか無かったんじゃなかったかなぁ。
畑の真ん中にぽつん、ってのはその通りだったような。でも裏の家は新しい。
で、ふと思ったんですが、
愛嬌のある顔してますが、以前よりなんだかハナの辺りの造詣がぼやけてないかと?
ついでに言うと、おでこあたりって、こんなに減ってる感じだったっけと。
丸でかこんだあたりです。
やっぱり囲っとかないと、人に撫でられたり、足が当たったりで削れてしまう??
とも思ったんですが、
良く考えたらそんな筈無いというか、
「いつからあって、何の目的で作ったか不明でーす」というのが亀石。
まぁ、なんとなくですけど、何百年、へたすれば千年単位の年月が過ぎているかもしれないもの。
そんなもの、ここ数十年の事で見た目に判るほど減ったり削れたりなんかしませんよね。
30年前はフェンスで囲ってたかもしれない、けれども、そんな何だかわからない物、百年、千年の歴史の中ではホッタラカシにされてぞんざいな扱いを受けていた期間が相当長かった可能性だってある。それでここまでこの形と言うか顔つきというかをキープしてるって事は、そんなに簡単に形を変えるとは思えないし、変えたとしたら、何かが前とはちがったかも、ということでもあり、
酸性雨とか?
・・・・・・?
ひょっとして、実はそんな昔からあったものじゃなかったとか?
例えば、ざっくり100年とか200年、明治のころにここにあった記録とかってあるんですかね。江戸時代とかでもいいや。
案外、昭和ヒトケタ頃に誰かがその辺に転がってた岩にテキトーに亀みたいな顔を彫って、周りに囲いを作って、それらしい話を広めてみたとか、そんなんじゃないよね、って。まぁさすがにそんな事はないでしょうけど。
まぁ、その辺に転がってた岩が実は石棺のフタ!とかだったりもするってのがこの辺なんですが。
看板の根元にこんな絵があったりとか、ほとんどイメージキャラ、またはご当地ゆるキャラと同じような扱い
でも、そんな大看板なのに、現物はそんなに大事な扱いをうけていない。不思議なモノでもあります。
妄想が広がりつつ、
その次に行ったのが高松塚古墳。その後死ぬ思いで坂を上ったキトラ古墳。
この二つ、どちらも今は有名な内部の壁画を剥がして別に保管しているため、
その時に上モノ剥がして取り出したもんだから、今の姿はこのありさま。(上が高松塚、下がキトラだった筈)
で、どちらも展示館が建てられていて、特にキトラは周りの土地開発的なこともしちゃった感じ。
キトラの展示館の中には、
こんな事が書いてあって、
じゃあ、高松塚のすぐ脇にこんなのあったんだけど、
これも掘ったら何か出てきそうだよね・・リアルに。そんな気がします。
6:30に食った薄っぺらいマヨネーズパンのチカラがここで終了しまして、
来た道を戻りつつ、
橘寺。
聖徳太子が生まれた所、らしい。
こう言ってはなんですけど・・・カネなさそうですね
ちゃんと拝観料払ってみてるんですが
これ・・キトラ古墳のあたりのすごい施設とか道路とかにかけたカネのいくらかでも、こういう所にまわせないんですかね。
カネは天下の回りもんではなく、きまったところにしか流れていかんということらしく・・・
日本最古の本格的仏教寺院・・・らしい。
で、最古の大仏さん。
もったいぶらずに写真撮影OK。
これも、維持していくための一環なんでしょうか。来て見て貰ってナンボというか。
柿の葉寿司があったので、お昼ごはんに。
鮭は入れず、オール鯖にしてみました。
で、あとは鯖寿司パワーを使って、石舞台まで坂を上りきって終了・・。
自転車を返し、
荷物を車に置き、
飲み物や何かを調達しながら、まわりを見ると
随分人が増えていました。
朝は
こうでしたからね。
あ、そうそう、
こんなのが、レンタカーで。
どっちも奈良ナンバーのわナンバーなんですよ。こいつら。
i-MiEVは止まってるのを見ただけでしたが、横の日産のマークがついた一人乗りか二人乗りかの奴は、多分複数台が走っており、
ちょっと大きい自転車ですみたいな顔をして、細い所を人間を避けつつひたひたと登ってくる。
どこで貸してるかわかんないけど、どうせなら電動自転車じゃなくてコッチを借りてみたかったなぁ。
この後
談山神社に寄り
(これも結構有名なアングルですね。って、全く知らんかった30数年前も同じような写真撮ってましたが)
ここも手入れが間に合ってない感じで、厳しそうな感じで
内部写真撮影ok。
ここは当時中までは入ってなかったんじゃないかな・・・と言う感じで、ああ、そうなの、へぇー、ほー、の連続ではあり
以上、終了。
伊賀のドライブインに立ち寄り(ここも前は古くていまにも潰れそうだったのが、半分綺麗に直して活気が出た感じだけど、きっとこの先始まる新名神合流の大渋滞前にまとまった休憩が取れるところがここしかないからなんだろうなぁ、と思って見たり)
(以前、近鉄の車窓から見つけて、いつか寄って見たくて。餃子は薄めの皮ながらもっちり、餡の味は淡泊ながら、タレに入っている荒刻みのニンニクのパンチが効いていい感じに。)
行きも帰りも、ほぼ有料の道路には乗らずに、割と快調に行って来れました。
もう、高速で渋滞にハマったりとか、追い越し車線を延々、クルコンSETしっぱなしなんだか知らんけど回り見ないで走ってる車に気を使いながら走るよりは、一般道走ってるのがどれだけ気持ち的にいいか、と最近思う事が多くなって。