デリカのミーティング、横でやっていた旧車イベント
その時の会話
自分の知っていた事/知らなかったこと
・・・・・。
そも、子供の時から、自分の周りにはどんな車が有ったのか
その中でどんな経験をしてきたのか
どんなだったか、じぶんの整理の意味でも、ちょっと思い出してみました。
本物の画像があると良かったんですが、とりあえず、拾いものをかき集めてみました。
(イメージに合うのを探して行ったら、ミニカーのしかなかった奴も有り。)
ぐだぐだなひとりごと はじまりはじまり。
1.幼少期~免許取り立ての頃
ウチの父は、免許を取ったの自体は早かったらしく、よく昔の勤め先にあった観音開きのクラウンを運転していた話を聞かされていました。
それなりに車好きの態を醸し出しては居ましたが、今になって思えば、車を所有することとか、手入れすることとか、そう言う事にはほぼこだわりの無い人でした。例えば洗車なんかしてるの見たことないし。
最初は・・・良く覚えていませんが、ベンチシートでコラムシフト、一家三人がフロントシートに並んで座ってお出かけするのが常。
ハンドル付のチャイルドシートが私の指定席でした。ロボコンとかに出てきてたコロナだったんじゃないかな・・・
車種をはっきり覚えているのは、この車からです。
3代目コロナ。
助手席は私。免許のなかった母はリアに座り、父が運転。
クーラーがついていましたが、グローブボックスの下に吊り下げされていて、冷風は助手席に直撃であったため、使用時には私もリアシートに移動させられていました。(あまり後ろに行った記憶はないので、大概は窓を開けて乗ってたんでしょう。)
で。。。小学校に入ったくらいだったかに、
初代カリーナの4ドアセダン、シルバーで、、、多分この絵の通りの1600の、、、DXあたりか、、、
リアの方向指示器がブレーキランプ兼用からアンバーで独立して、片側2灯のヘッドライトの間に縦長の幅灯が付いたモデル。
時は排ガス規制が徐々に厳しくなっていったその頃で、同じ形の車が結構長生きした時期でもあるんですよね。
で、ヨソの車のリアには「5Speed」って書いて有ったり、新しい車には「TTC-L」なんて書いてあって、
TTCはともかく、うちの車ってこれまで4速までのしかないよなぁ、つまらんよなぁと、思っていたものです。
ご近所に27レビン(トレノ?)に乗っていた家が有り、
3家族くらいで連れだって、海水浴だか遊園地だかに行ったことがあるんですが、
この時この車のリアシートの真ん中に座り(子供4人位で押し込められてたかも)、
念願の5速のついた車に乗れた!と喜んだものの、
全部下道で、かつ満員で重たいもんだから、一度も5速に入れてくれず、イライラ・・・イライラ・・・
椅子のクッションは沈み込みが激しく、FRの証のフロアトンネルが邪魔で足は持ち上がり踏ん張りもきかず、
窓は小さく高い位置にあるため景色も見えず・・・延々とシフトレバーだけを見つめ・・・5速に入らないシフトだけを見つめ・・・・イライラ・・・子供心に・・・・
そのうちカリーナは、
3代目サニーになりました。
たしか・・・2ドアだったんじゃないかな・・・
これも、何でもない、この写真の通りのDXかなんかで、確かエンジンもカリーナよりちっちゃくて、当然4速までしかなくて・・・。
こどもなのであまり意識していなかったんですが、ここまで、新しく来た車が新車だった事は一度も無し。
で、どうも、このサニーが恐らく初めての「自家用車」だったことに、しばらくして気づきます。
いつのまにか、また以前の、同じカリーナが戻ってきた・・・。
どうもずっと、会社の車を借りてのっていたらしく、
自分の車にサニーを買ったものの、あまり調子が良くなかったらしい。
そりゃ、車種はともかく、ショボイ車しか無かったわけです。
で、父自体も、「免許取ったのは古くてベテラン」であることが自慢の一つではあったものの、車そのものは「動きゃいい」感じの人で、新車を買う気は毛頭なく、そもそも車選び方を知らない、そんな事だった、と判ったのはだいぶ後になってからの事でした。
そんな父が、
ある日、エラいものを買ってきます。
'72 VW 1302S Automatic(画像は拾いものです)
元々大好きだったらしいんですよ。ワーゲン。
で、この頃、西ドイツ本国で生産中止になり、日本にも入ってこなくなります。
ラストチャンスと思って奮発したんでしょう。
でも、買った個体は、助手席は折れて倒れたまま。錆も多く、エンスト多発でお世辞にも調子がいいとは言えないモノ。
買った中古車屋は田んぼを埋め立てて端っこに小さな事務所の小屋を建てただけの個人商で整備は委託(=今も私を含めお世話になってる修理屋との付き合いはこの時始まりました)。
おまけにこの車を売った直後に店を畳み、跡地にバッティングセンターを作り、ゲーセンも併設してそっちでは大当たり・・・
なんでよりによってこんなヒドいのを買ったのかと・・・
その後、最初の車検でヤナセに持ち込み、ン十万位掛けて電装系を全て新品にして、大分調子はよくなりましたが、
よく見ると、助手席側、運転席側双方のレインガーターの、似たような位置に溶接跡があったり、
運転席と助手席で、座席背もたれの傾け方(操作方法)が違っていたり(助手席側はもとの機構が殺され、何故か違うレバーが増設されていた)
確か前後バンパーの錆び方が違ったんじゃないか・・・
ひょっとすると事故車・・・それも結構な・・・助手席倒れる勢いの・・・
自分の目が肥えてきてそう思えてきた頃父に聞くと、どうも薄々気が付いていた様子で・・
「もうちょっとちゃんと選びゃ・・・」「いや、もう、無くなるってんで急いでて・・・ゴニョゴニョ・・・」
車自体は、ちょっと珍しい物で、
当時まだ珍しかった筈の「光るナンバープレート」が付いていて、これがまた錆びてボロボロになっていたとか、そういう小ネタもあるんですが、
最終モデルよりも、テールランプが一回り小さい(アイロンテールと言います)、
かつ、リアフードの空気穴が4カ所(アイロンテールで4カ所なのはこの年式だけ。その前は2か所)、
1302シリーズ自体がオリジナルの「かぶと虫」とは少しモノが違う(フロントサスがトーションバーからストラットに・・かぶと虫の形をした違う車だ、なんて言われることも有ります)、
あと、当時ポルシェに「スポルトマチック」なるものがあったんですが、
それとよく似た機構の2ペダル(クラッチなし)。
シフトレバーを少し触ると電磁クラッチが切れ、レバーをシフトして手を放すとクラッチが繋がる仕掛け。
で、電磁クラッチと直列にトルコンも入っているため、まぁ、普通のトルコンATを手動でシフトしているような感覚。
燃料は混合またはハイオクが指定らしく、初めは2回に1回有鉛ハイオク(まだ無鉛ハイオクは発売前)、
でしたが(確かに給油リッドの裏にオクタン価91か92と書いたラベルが貼ってあったので、レギュラーだと微妙に足らない)、そのうちレギュラーでも普通に走るようになりました・・・。
確かに日本のレギュラーガスは外国に比べてオクタン価低めなんですよね。
ただ成分も違うので一概には言えないとも聞いたことありますが。
そういえば、去年1年間復活販売されていたランクル70のV6エンジンも「世界共通SPEC」の「ハイオク指定」だった筈。
。。。一応、ランクル、それも70ということで、ひっどい粗悪なガソリンでも動くでしょうから、実際の所、日本のレギュラーガスなんか全然問題無いような気もしますが気がするだけかもしれませんが
で、そんな頃、
従兄がこんなものに乗っていました。
まずは、2輪なんですが、
YAMAHA FZR250 TECH21カラー・・・・
当時の250CCのDOHC4気筒エンジン、確か1万8000回転位まで回るんですよ・・・
それにしても、派手というのとも少し違う、なんというか独特のカラーリング。
この人が、所謂スーパーカーブームの時に中学生かそこらの、まあまあリアルに車を感じられる歳になって触れた世代の人で、まぁ、2輪4輪問わず好きでして。(若干、好みに偏りがあったような気もしますが)
実家の(=伯父さんの)7x系マークIIのセダンに乗っけて貰って鈴鹿にも連れて行ってもらいました。
スズキがGP500に復帰した年の初戦、ペプシカラーのV-Γで優勝、バイクを走らせたまま両手を離してさらに立ち上がってガッツポーズをするという・・・そんなことできるんだこの人/このバイク・・・と言うのをナマで見てしまったりも。
で、私はその後地元を離れ一人暮らしを始めるんですが・・・
まぁ、免許も取って、たまに実家帰ってきた時には実家の車に乗る訳です。
ワーゲンのオートマに。
小学校の高学年から大学入ってしばらくその間約10年くらい、ずっとワーゲンだったんですね。
シートベルトもまだ2点式のワーゲンに。
重ステハンドル、ブレーキもブースタ無しでカッチカチ。
一応外車なので右ハンドルながらウインカーとワイパーのレバー位置が逆で、パッシングのつもりがウオッシャー水が出て自分がびっくり、とか。
エアコンもないので、所謂空調関係の調節レバーとか、つまみとかが一切なく、内気循環って何?吹き出し位置の切り替えってどういうこと?てかドア下側錆穴だらけで元々足元スースー寒いんだけどみたいな。
全然その当時のフツーの車の運転席まわりがどうなってんだか分からない人になっておりました。
でも、それでもフツーに車として不自由なく使えるんですよね。
そんなある日、
母が免許を取りました。
免許取るにはかなり歳とってて、それなりに苦労はしたようです。
しかもまだ当時はAT免許なし。
で、何か月かかけて、無事に免許は取れ、ワーゲンに乗り始め、しばらくして廃車にします。
センターラインオーバーの対向車を避け、のり面に乗り上げ一回転。
2点シートベルトの車で一回転して、助手席の父も含めかすり傷も無し。
ひっくり返ったまま、父vs車外の対向車の運転手で軽い口論状態となり
「ぐちゃぐちゃ言っとらんで、
はやく出せ
!!!!!!!!!!」
と一喝したとか・・・
どう見ても、
安全性能はピカイチだったということで間違いないです。
ちなみに、所謂安全ボディ トヨタの「GOA」が登場するのは、この7、8年後の事、
ワーゲンは日本にヤナセが初めて正規輸入したのが1952年、
そもそも、ボディの基本設計がされたのは第二次大戦前。。。。
まぁ、補償交渉は、保険屋が「骨董品的価値を認めてこの金額」とか言い出す始末で、難航したわけですが、その末にやってきたのが、
BF型のファミリアのセダンです。(画像はどっかからの拾い物の同型車です)
1500なんですが、当時まだ多くはなかったインジェクション(キャブではなく電子式の燃料噴射)のエンジンで、何故か豪華にオートドライブ付。
さすがにエアコンはオートではありませんでしたが、吹き出し口の切り替えは、レバー式を飛びこしてプッシュ式(!)
何もなかったワーゲンから、一気に近代的な、へたすりゃ最先端が半分くらい入った車になってしまい、
まぁ、最初は何が何だかw
ドアミラーなのは、元々ワーゲンは、国産車で解禁になる1983年の、遥か前からそうだったため何の違和感もなかったですが、
タイヤも当時まだ少なかった扁平(!)70タイヤ。
当時のカローラもそうでしたが、標準車は155R13、少しいい奴になるとこのファミリアについてた175/70R13、もうちょっと元気のいいのになると185/60R14てな感じで(185/60R14はつまりハチロクについてたタイヤです)、
で、ファミリアですが、オートマは3速、トルコンのスリップが少なくて、平地はダイレクトに元気に走るんですが登りになるとからきし駄目。で、高速も90キロくらいまでは快調なんだけれどもそれ以上になるとなんかフラフラして走れなくなるという、まぁ、山中の川沿いの高低差が無いくねくね曲がった道をスイスイと走るのは非常に気持ちがいい車で、
当時の私にとっては、サイズもパワーも持て余すことなく思いっきり乗れる丁度いい車で、時々実家に帰ってきた時に、荷物を乗っけて一人暮らし先に日帰りで運び、なんて事をしながら、ウデを磨きました。
リアシートの後ろに置いたティッシュの箱を、カーブでアクセル・ブレーキの踏み加減で滑らせたり・・・止めたり・・・
あーこれは限界かも・・・とおもって飛び込んだカーブで盛大に対向車線に飛び出し、やっとこさ戻った所でブラインドから対向車が登場し、無理は禁物と悟って、以降、少し大人しく走るようになりましたが・・・
そんな頃、件の従兄が、たまたまわりと近くに引っ越してきており、
当時持っていたのが、
コロナのGT-TR。
まだ、ファミリアが来る前・・・免許取りたての頃、金曜夜の高速に乗せられ、週末を丸々使って四国半周とか・・・まぁ、特訓ってことでもないですが・・・
ターボって何?ツインカムってどうなるの??
雑誌やなんかで読み漁っていても、乗ってみてどうかなんて想像なんかつくわけもなく、
教習車の7XマークIIのディーゼルと同じようにアイドリングだけで発進しようとしてあっけなくエンストしたり、40キロ位の軽い上り坂で5速に入れっぱなしで一喝されたりと・・・
まぁでも、だから怖いものなしにはなった訳で・・。
#この後地元に戻り
#私が就職する段になって、
#「要らんか?」「買わんか?」
#の話も有った訳ですが、
#当時としてはもう古かったし・・
#一方で大きくて
#もてあまし気味でもあったし・・
#丁重にお断りして・・・
##実はもう一人の従兄が、
##ほぼ同じ型のセリカを持っていて
##そっちからも
##「要らんか??」「買わんか??」
##があったんですが・・・
##需要と供給のバランスが
##崩れていたという事
##なんでしょうが・・・
2.自分の車として
地元に帰りはしたものの、勤務先は実家から通うには距離があったため、会社のすぐ近くに住み始めましたが、
まぁ、不便な所で、
やっぱり車が無いと生活できんなぁと
ここまで、自分で所有した車はないものの、決してペーパードライバーではない、普通に運転できるヒトにはなっていましたので、
まぁ、いきなりなんですが、新車購入。
最初買う車はやっぱりMTがいいな、と思い、
まぁ、MTで買っても不自然じゃない車と言ったら、ロードスターかVTECの車かだろうという事で、
シビック(EG-6)を購入。
サイズはOKなんですが、170馬力は持て余し気味。使いこなせるもんじゃありませんでした。
で、エンジン強力で振り回されるかんじなのに、シートは変なのほほんとした形でしかも生地がジャージで良く滑る。
おまけに柔らかくて、クラッチ踏むたびに腰が痛くなり、
レカロ購入・・・。
ポジションもやや低くなり、結果オーライで色々丁度良くなりました。
時々はその辺のちっちゃいサーキットでも走らせたりとか。
一方で、世間は四駆ブームでもありました。
パジェロだサーフだランクルだ・・・という中、まぁ、このシビックでガリガリの石ばかりの河原に降りてったりもしてたんですが、
乗り換えるまでの事もないと思っていて
とは言え・・・
ということで、ここでキャンプやらなんやらで河原に無傷で下りる為だけのとして、雑誌の個人売買で買った
2ストのジムニー(SJ30V)の登場です。
のほほんと。
不便な場所の代わりに、駐車場は激安だったんですね。でないとセカンドカーなんて持てません。
ちなみに購入価格は、シビックに着けた新品のレカロ一脚と大差無かったはず。
で、いくら本人がただのRV車のつもりでいても、車が車だもんですから、どうやって走らすと面白いか知っている人は知っていますから、ちょっとそこら辺こんな感じで走ってごらん、とかなるわけです。で、走ってみると結構いい線または惜しい所までいけてしまう。
ど素人なのであくまで惜しい所まで、なんですが。
で、段々調子のってくるでしょ。
こんな感じとか、
こんな感じとか。
まぁ、速度域は違えど、滑りながらもグリップするところを探っていく、であるとか、タイヤをどこ通すのかを意識しながら車をどう動かすか、であるとか、
そういう、車を走らせる事の楽しみ自体は変わらない訳ですよ。
で、そのうちに、
こんな感じになって、
こんな事も間に挟みながら、
最終的にはこんなことにもなるという・・・
まぁ、楽しかったです。
これでも、タイヤ変えただけのドノマール車。グニャグニャに潰れてどうしようも無くなるまでバンパーすら交換せず。
車が軽かったので、パワステなしでも全然余裕だし、ブレーキブースターが無くてもむしろコントロールがしやすくて楽しい(舗装路でロックしたタイヤをまた緩めて転がしたりとか・・)、馬力はなくったって街中でも全開で走れば丁度流れに乗れてOK!(でも次の信号にギリギリ間に合わずスタートからやり直し・・)高速でも80キロで猛烈な空気の壁を感じるものの、ちゃんと制限速度まで出す気になれば出せたし。
でも、この頃の車って、まだよく錆びて、
乗り方が激しいことも有って、さすがに車齢が15年を超えると、マフラーは針金で釣ってるだけだし、オイルは色んな所から滲むし、床は錆穴は開くしと、辛くなってきて、
住んでる所も変わって、通勤で車を使うようにもなったため、
朝晩の騒音と冬場の白煙悪臭で近所迷惑にならないようにと、
白煙を吐かない、
パンパンパンパン言わない、
660ターボのJA11Vに乗り換え。(画面右のガンメタの車)
乗り方自体は何も変わっちゃいませんが。
(乗り心地の改善を目指してメーカーがバネレートを下げたため、逆に普段から底突きがひどくなり、それが嫌でバネとダンパーとシャックルを交換はしました)
で、ここに至るまでに、シビックの方も、
結婚して子供が生まれるにあたり、ドアの枚数が増やしたくなり、
ガリガリの石ばかりの河原にも平気で下りて行けてドア枚数も多いプラドになりました。(KZJ95)
子供が大きくなるにつれ、時に荷物満載で出かけたりもしていましたが、
ディーゼル車の規制が掛かり、
構造変更(キャンピング車→普通車)で車検周期をずらし、延命もしましたが、
まあ、とりあえず満足ということで、
ノアかなんかにしようと思っていたんですが、
色々あって、
D:5の良さに惹かれて、現在に至っております。
あ、
ジムニーの方も、
またしても椅子を交換しただけで、すっかり大人しく乗っております。(JB23)
ジムニーとはいっても、今や貴重なラダーフレームつきだと言っても、
ブレーキホースとかを止めてる部品がD:5とかと同じような細いプラスチックだったり(泥沼にはまると割れてなくなりそう)、所々配線がむき出しだったり、トランスファーマウントがアルミ鋳物でちょっと衝撃があると折れちゃうだとか(見たこともあるので)、過去の2台と同じように走らせようにも結構手を入れないと駄目そうなんですよね・・・
本当は少しだけそっちの手を入れたかったんですが、腰の痛みには勝てず、そっちの予算を椅子に振り替えてしまい・・・。
年甲斐もなく妄想は広がるばかりではありますが
萎んで終わるか
どこかでたがが外れるか
前みたいに走らす気はもはやないですが、
タイヤ位は変えときたいな、とか、
お遊び程度でも簡単にポキっとなる所位は何とかしときたいな、なんですけどね。