「いつになったらマクドナルドはハンバーガーとナゲットを売れるようになるんだ!!!」
微信のメッセージでウチの中国の会社の社員が発信してました。
おお、やっぱそれなりにニュースになってんだなぁ。メディアやネット通してじゃなくて、ナマ声なんでこれは結構貴重かも、とか思いつつ、
「日本のマクドナルドは、元々中国(のあの会社)のとタイのを使ってて、あのニュース以来、タイのしかつかわなくなったらしいよ。でも一部の店ではまだ売ってないみたい。」
そう返したら、
「中国人はかわいそうですよ。どうしようもない。他の食事する店はもっとキタナイし、マクドナルドはまだ清潔な方で・・・あぁあ・・・」
確かに彼ら、食事の話をすると、「あの店は多分油も悪くなさそうだし」とか、「鍋料理屋で、ダシ汁が無料の所は他の客のの使いまわしなんで行かない方がいいですよ」とか、根拠や情報源の信ぴょう性はともかく、やはり食べ物や店の選定には個々にそれなりのガイドラインを持って判断をしているようでした。
思うにこれはとても大事な事で、
何かに頼るんではなく、自分で考えてるんですよね。
これはOKかNGかを。
「けしからん」「どうしてちゃんと取り締まらないんだ」「当局は何やってんだ」「こんな事じゃ安心して食事もできない」「何を信じれば」
そんな事、言うには言うんでしょうが、ワーワー言うより先に、自分で判断して(鼻を利かせて)、よりマシであろう物を選んで、食う。
例えば、肉食ってて、ホネのカケラでも入ってたら文句言いたくなりますよね。
多分多くの日本の方は。
で、多くは無防備にガツガツ食べて、歯が欠けたり、あわてて舌も噛んじゃったりする。安心しきってて。
センサーの数が違うのか、そもそも感度が全然違うのか
とにかく、ごくごく自然に、色々な事に敏感。
自分がやばいと思えば、初めからスルーするか、食べてる最中でも異変に気づいて手を付けない。恐らく無意識に。
これは食事に限らず。
言い方を変えると、世の中すべての人の安心安全を考えて「けしからん」などと言う気はあんまり無く、それより自分はそこからどう逃れるのかを考えるのに全力投球。
何かが100%守ってくれる事なんか、100%無いですからね。
「みんな平等」ではなく、目指すは「自分は特別」
そりゃそうですよね。公称で日本の10倍人が居て、あらゆる制度仕掛けはあてにならなくて。信じられるのは自分が大丈夫だと信じたものだけ。
日本でだってO-157の騒ぎの時なんか、
何か洗って、水切りのためにザルにあげて、そのザルを、長靴で歩き回って飛沫が飛びまくってる調理場のコンクリの床に置いちゃったり、「おいおい・・」ってのが一杯あったでしょうに。
理詰めでなくって、感覚ででもいいかもしれませんよ。良いとか悪いとか感じる気持ちに別に理由なんか要らないでしょう。
理詰めで問題ないと言われたものでも、嫌ならやっぱり嫌なんですよ。逆に。
色々とアテにならない所に向かって文句言っててもしょうがないんで、自分にとって何が「最好」なのか良く考えるのがいいんじゃないですか。